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太陽の契約27
が、すぐに笙子の表情は直前の無表情なものに変わってしまった。
「それならそれでかまわない。」
もう帰ろう。この話がでた以上、もう終わりなのだから。
「帰るわ。送って頂かなくても結構よ。」
「甘いな。それですむと思うのか?」
東吾は笙子の前に立ちふさがった。

こんな展開になる筈ではなかったのに。
あっさり終わるか、多少は怒るかも知れないとは思っていた。でも口論になるとは思えなかったし、ましてやこんな理詰めでこられるとは思っていなかった。
やはり、最後の言葉が必要で、それを言わざるをえない。
笙子は声が震えないことを祈りながら、東吾を見上げてその一言を告げた。
「もう終わりにしましょう。」
「何を?」
「この関係を。」
「どの?」
「私と・・・あなたの。」
「俺達が一体どんな関係だったと言うんだ?」
一言ごとに凄みを増していることに東吾は気づいているのだろうか?
そして、それを裏付けるように容赦のない言葉。冷静で残酷な問い。
どんな関係だったか、私に言わせようとする。

「行きずりの関係でしょう?」
「笙子。」
「理論的なものをお望みなら、偶発的遭遇による必然的化学反応とか。」
「よせ。」
「もっとダイレクトなほうがいい?」
「笙子、やめろ。」
笙子は東吾の腕の中に引き寄せられ、しっかりと抱きしめられていた。
「離して。」
「自分を貶めるようなことを言うな。」
「事実だわ。紛れもなく。2人ともわかってることじゃない。」

東吾は、小さくため息をつきながら、笙子を見下ろした。
「なんでそんなことになったんだ?」
「そんなことって・・・?」
「お前、俺を諦めようとしているだろう?」
その言葉にカッとなった。あくまでも傲慢な男。
「ものは言いようね。」
笙子の言葉は、極端に冷たいものに変わった。
「少し、頭を冷やした方が良さそうだ。」
「できればそのまま冷えていてくれると有り難いけど。」
「冷やすのは俺の頭じゃない。お前のだ。」
「そう。ではお言葉に甘えてそうさせて頂きます。」
笙子は東吾の腕から離れた。
「おい。」
「帰ります。」
笙子はテーブルの上に置かれた皿を横目で見て「好きなように処分してください。」と振り向きもせずに言い放ち、そのまま玄関に向かう。思い出したように、部屋の鍵をバッグから取り出し皿の横に置いた。

「笙子」
「これも好きにして。」
そう言うと、笙子は玄関の荷物をおいたまま部屋を出て行こうとしている。
引き止めるか? 追いかけるか?
東吾はそこで躊躇した。決して笙子を手放したい訳ではない。だが、今笙子を追いつめたら、壊れそうな気がした。何かが・・・。
その一瞬の躊躇の間にドアは閉まった。

何が笙子をあんなに変えたのか、はかりかねた。
原因が有る筈なのに・・・。それがわからない。

ソファに座り込み、滅多に吸わない煙草を取り出した。そういえば、この部屋では吸ったことがない。灰皿があったかどうかもわからない。
灰皿かそれにかわるものを探してキッチンに入った。笙子が何でも片付けてしまうから、どこかに何かがあるだろうと、食器棚をあけて気がついた。
主立った食器が取り払われてしまったそこは、閑散としている。元々仮住まいのつもりだったから必要最低限あればいいと思っていたが、笙子と二人でいるには不便だった。
笙子は、何も言わず必要なものを買って来た。それを黙って受入れたのは、笙子が二人でいることを受入れていく過程を見ていたかったから。
ため息をつきながら、小皿を取り出す。そのとき、足下で何かを踏んだ感触があった。
それは白い陶器の破片。
その小さな破片の風合い、手触りには覚えがあった。マグカップだ。
それも笙子が買って来た。

朝、東吾がバスルームからでる頃にはいつも煎れたてのコーヒーが待っていた。テーブルに向かい合って座り、モーニングコーヒーを楽しむような場面はなかったが、二人でお揃いのカップで朝を迎えるのは、何とも言えず満ち足りていた。
そのマグカップが割れてしまっている。
まさか・・・故意にか?
そう思った時には行動に出ていた。急いでコートを手に取り、車のキーを持つ。テーブルに置きっぱなしだった携帯が鳴る。放っておこうかとも思ったが、もしや笙子ではと思い、それに出た。

「はい。」
「東吾?」
「あぁ、孝子伯母さん。」

笙子が東吾に電話をかけてきたことなど、簡単に記憶をたぐれるほど少ない。ましてや、今日のような状態で笙子が電話をしてくるはずがないのに。
どうやら、大分参ってるらしいな、俺は。

「加賀美にこなかったわね。」 精進落しの席のことだ。
「ええ、もう後継者も決まったのだから、いいでしょう。」
「それでも一族であることには変わらないのだし、貴方の役目はまだあるのよ。」
「心得てますよ。」
「そうだといいんだけど。」
「何か問題でも?」
「有りません。それより明日は初七日の法要ですからね。ちゃんといらっしゃいね。」
「わかりました。」
まだ何かをいい足りなそうな伯母の言葉を遮って電話を切った。

笙子を捕まえなければ。



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移転のご案内
突然で恐縮ですが、LoversをBlogからWEBに転向致します。
サイトは下記に準備致しました。
http://loveromance.web.fc2.com/index.html

今後の更新は、WEBサイトにて行いたいと思います。
htmlへの転向は、これからの運用や拡張性などを踏まえた結果の判断でございます。
いきなりの事後報告でご迷惑をおかけ致しますが、何卒ご理解頂きますようお願い申し上げます。
また、当BLOGは引き続き「雪生のBLOG」として、雑談やらロマンス界隈の話題、更新報告などで運用して参ります。
今後ともご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
太陽の契約26
おかしい。何かが変だ。
東吾は笙子の何かが気になった。
エレベータの中で、笙子の様子をうかがった。黒のシンプルな喪服、オフィスにいる時のようにきっちりとまとめられた髪、色を抑えたルージュ。どれもこれもが控えめでシンプルなのにも関わらず、笙子の装いは目を引く。事実、あの会葬者でごった返していた親族控え室でも、すぐに笙子は視界に入って来たし、充分に目立っていた。
事前に早坂から聞いていなくても、笙子に気づかないなどあり得なかった。
笙子はいつだって東吾の視界の中心にいる。
いつも強気で生意気で、すこしばかり皮肉屋で、そして情熱的な笙子。

その笙子の様子が、どこか何かがおかしい。
いつものように背筋をピンとのばして立ち、正面をまっすぐに見据え何事にも動じないという風な雰囲気はそのままなのに・・・。
東吾は、やはり気になって部屋の前で鍵をあけながら笙子に振り返った。笙子は東吾の動きにあわせ顔をあげてきた。笙子は東吾が何かをいおうとすると必ず視線を合わせてくる。いつでもそう。それでわかった。
眼だ。

笙子の眼が何も見ていない。いつも強い意志を湛えており、何にたいしても真剣なまなざしを向ける笙子の眼に力がない。
本当に体調が悪いのか?

玄関に立ったきり動かない笙子を引き込むように部屋に入れた。そのとき、笙子が持っていた大きな紙袋が東吾の足にぶつかった。
痛い・・・思いのほか重いものだったらしい。
「重そうだ。持つよ。」 笙子の荷物に手を差し伸べた。
「いいの。」
「笙子」
「気にしないで。ここに置いておくから。」 そう言って玄関のあがりかまちにそれを降ろした。
その様子、やはりおかしかった。
「着替えてくる。」 落ち着いて聞き出せる状況にしてからだと思い部屋に向かった。


東吾が部屋に入るのを見届けてから笙子は部屋に入った。
変な感じ・・・もっと動揺するかと思っていたのに、全然平気だ。これがこの部屋で過ごす最後の時間なのに。
改めて部屋の中を見渡した。今までなるべく触れたり詳しく見ないようにしてきたインテリアを、最後だからこそ一つ一つ触れながら確かめた。
オランダ製のタワー形オーディオスピーカーが一際異彩を放っているAV機器、シルバーメタリックのローボード。そしてどことなく東吾の選んだものとは思えない桜材のカップボード。色ガラスとすりガラスでデザインされた曲線の美しいシェルフ。ピクチャーレールに架かっているのはヨーロッパの田園風景のようだ。これも東吾の好みとは思えなかった。
そう言えば、初めて来た時からずっとこの部屋には東吾の匂いがしない。

着替えた東吾がリビングに入って来たのがわかったので、振り返りもせずに聞いた。
「ねえ?」
「なに?」
「この部屋って誰の部屋?」
「なんだ、今頃。」
「ここって、東吾の匂いがしない。」
「ここは、俺達の共有スペースだ。」
俺達・・・それは東吾と
「早坂さん?」
「あいつもその一人。」
も・・・って、もっといるの?さっきのもう一人の声の持ち主?
でもそれを知ったところで今更意味もない。
「そう。」

「笙子、聞きたいことがある。」
「何?」
「これはどういうことだ?」
「何のこと?」
振り返った笙子が目にしたのは、東吾の手にある食器。さっき包んだうちの一枚の皿。
やっぱり、見逃してはくれないのね。
「見た通りよ。」
「どうするつもりだ?」
「もう不要になったから持って帰るのよ。」
東吾の表情が一瞬かわった。
「驚くべき見解だな。」
「そうでもないんじゃない?」
東吾は顔色一つ変えず、無表情のままそれをテーブルにおいた。笙子の好みで買ってきた黒水晶の大皿。大振りの皿と取り皿を数枚、形や風合い、模様をわざと揃えないで買ってあったうちの1枚。

東吾は無造作に皿を置いたあと、一歩詰め寄った。
そのたった一歩が、広いリビングにいて2人の間もだいぶあいている筈なのに、凄く間近に迫られた気がする。

「俺がそれを許すと思うのか?」
「許可を求めることではないわ。」
「ほう、そうか。」
「私が買って来たものだから責任を持って処分する。それだけよ。」
東吾の目が鋭くなった。
そして今の笙子の言葉を吟味しているのが手にとるようにわかる。
失敗したかもしれない。

「中途半端だな。」
「・・・」
「もっとあるだろう?」
「・・・」
「理由を聞いたら教えてもらえるのか?」
怒っているのかどうかもわからない。冷静過ぎる言葉が襲ってくる。
「聞いてみれば?」
「必要ない。」
「なぜ?」
「たわ言を聞く気がないからだ。」

笙子の瞳が強く鋭く光るのがわかった。
そうだ。こうでなければ笙子ではない。



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太陽の契約25
偶然聞いてしまった早坂と東吾、そして3人目の男性の会話に、ドキドキしてきた。
心拍数があがる。
早坂が言った言葉、東吾が返した言葉。
それは、笙子の想像を確信に変えるのに充分なもの。
東吾は婚約者を待たせていながら平気で、私を・・・。

今度こそいてもたってもいられなかった。
笙子はセレモニーホールを出ると、タクシーを停めた。
「青葉台まで。」 告げた先は東吾の部屋。
東吾に会う前にしておかなければならないことがある。


全ての痕跡を消すつもりだった。そうしなければ、東吾が婚約者をここに連れてくることが出来ない。
別の女性の影に寛容になれる人はいない。それに東吾にだけ責任をおしつけて困らせるわけにもいかない。ルール違反はしたくない。最初に誘ったのは私なのだから・・・。

この前は笙子の荷物だけを持ち帰った。が、後から思い出したものがここにある。
笙子はまっすぐキッチンに向かった。そして、自分で買いそろえた食器類を全部取り出す。
マグカップはシンプルでペアだとは認識できないデザインを選んでいた。それでも2客しかおいていないから必然的にペアと分かってしまう。笙子はそれを1客だけではなく2客とも取り出した。置いてはいけない。2つ残していくのも、別の誰かに使われることになるのにも耐えられそうにない。
ビアグラスとワイングラスは6脚セットを購入していたので置いていくことにした。お箸と箸置きのセットもそのまま置いていこうとして止めた。男の一人暮らしで、箸置きまでセットされたお箸が整っていること自体おかしいと思えたから。
結局、キッチンには無難なお皿とグラス、どこにでもありそうなお箸と当初からあった唯一つのマグカップが残った。

笙子は持って帰るつもりの食器類をキッチンカウンターに並べた。東吾を知るには少なすぎた時間。東吾を感じるのには充分すぎる時間をここで過ごした。

ゆっくりと一つずつ、食器を包んでは紙袋におさめていった。
一つ一つに2人の時間があって、それらを今封印しようとしている。同時に笙子の中でくすぶっている東吾への諦めきれない思いも閉じ込めていった。
2つ並んだマグカップが最後に残った。このマグカップには、何度も一緒にむかえた朝の数だけ思い出がある。それを封印するのが一番こたえた。
いっそ割ってしまおうか・・・。そう思った瞬間、マグカップは笙子の手から離れた。
大きな音を立ててそれは床に落ちる。見下ろした足下には、大小様々な白い陶器の破片が散らばっている。
壊れてしまった思い出。
これで良かったんだ。何も残らない方が、何も思い出さなくてすむ。
笙子は1つ残ったマグカップも落として割った。
白い破片の渦の中心で、しばし涙を噛み締めて立つ。
これで思い切れる。
ギュッと瞼を閉じ、ゆっくりと見開いた時、笙子の涙は止まっていた。

これで東吾とも向き合えるかもしれない。

部屋の中は、先日笙子が出て行った時のままで、東吾が戻った気配がない。一体いつ帰って来て、どこで喪服に着替えたのかもわからない。
でもそれすらも、笙子が考えていいことではなくなった。東吾は笙子のものではないし、笙子のものであったこともない。すれ違う筈の一時が重なってしまっただけの存在。

それもこれも笙子の悪行がもたらした結果だ。そう思うと泣くに泣けない。
思い出の残骸を片付け、笙子は部屋を出た。


1階までおりてから、鍵を新聞受けに入れてくれば良かったと思い、立ち止まった。でももう、あの部屋には行きたくない。ただドアの前でさえも。

衝撃的な出会いから半年過ぎて、笙子は半年前と同じように出て来た部屋を見上げた。
最初の時はギラギラと照りつける太陽がまぶしい夏の日だった。今見上げる青空は、鮮やかでありながら距離を置く、冷たい果ての世界のよう。それを照らす太陽の光さえ冷たく感じる。

終わり、the end. 

駅に向かうか、タクシーを拾うか考えながら通りに出た。
ちょうど目の前にタクシーが停まったので、それに乗ろうとして足が止まる。
降りてきたのは、東吾。なんて間の悪い・・・。

「笙子、待っていろといったはずだ。」
「そうだったわね。ごめんなさい。」
「どこへ行く気だ?」
「家よ。」
「話があると言っただろう?」
「そうね。」
「来いよ。」
東吾は、笙子の腕をつかみそのまま部屋に向かおうとする。
「東吾、待って・・・」
「何?」
「私、ちょっと疲れてるの?明日にはできない?」
東吾の部屋に入りたくなかったから、帰りたいと暗に告げる。
「あとで送るから。」
「それなら今送って。話なら車の中でもできるでしょう?」
「笙子?どうかしたのか?」
「別に。」

東吾が、まっすぐに笙子を見据える。それからいぶかしむように眼を眇めた。
「わかった。」
「送ってくれるの?」
「ああ、但し着替えさせてくれ。」
「ええ。」
「それじゃ、一緒に来い。」
東吾はそれ以上話すことなく、笙子を引っ張っていく。ここで意地になって拒否しても無駄かもしれない。それに着替える間だけなら、待てる。
きっと東吾はキッチンに行ったりしない筈だから、笙子の荷物の中身を知るのは、笙子が後で告げる時が来てからだ。



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太陽の契約24
社葬が始まって間もなくすると電話がならなくなった。
社葬の間は皆ひかえることにしたらしい。
笙子は控え室の片付けも終え、しばし、人もいない音もしない空間で物思いにふけった。
頭に浮かぶことと言えば、当然のごとく東吾のことであり、今までのこと、そしてこれからのこと。

恵美が聞き出したことが正しければ、エリザベスには現地に恋人がいるという。
その恋人と派手なけんかをして、東吾との打合せを東京でしようと言い出し、無理矢理、本社に来たらしいこと。
また、藤崎社長には子供がなく、後継者選びが業界内で注目されているらしいこと。
今回の社葬は、その意味でも注目が高いと言うことも聞かされた。
事情通の恵美がもたらしたそれらがどうこうとは思わないものの、東吾のことを考えずにすむなら、その方がありがたい。

虚しい関係を終わりにしようと、あの日最大限の努力で決意していったのに、あっさりとかわされてしまい、どこかで気力が抜け落ちている。
もう一度あの決意を固めるのに苦労しそうだ。東吾が戻って来た今となっては、それを先送りすることもできない。
ましてや今日、あの男から逃れられるとも思えない。

でも、あの女性が誰なのかにもよる。
社長の親族である女性。年齢は笙子とあまり変わらないように見受けた。ハッキリと顔を見た訳ではないけれど、育ちの良さが伺える仕草や立ち居振る舞いには気づいた。東吾の・・・恋人ではない、とは言いきれない。
なんだってありうるのだから・・・。

笙子が終わりにしようと思っている側から、東吾も同じことを考えていたって不思議ではない。東吾の執着は、いずれ終わる。愛情があって始まった関係でもなければ、それを育む関係でもなかった。
なのに、自分だけ本気になってしまった。
そう思うと、胸が苦しい。息を吸おうとした体の奥底から痛いような締め付けを感じる。

今週ずっと考えないようにしてきた、闇を感じる。このまま奈落の底に落ちてしまうのではないかと思えるような恐怖感。ヒタヒタと押し寄せる闇が笙子を飲み込もうとしている。

ダメ、ここで負けてはいられない。東吾のまえで取り乱して泣き叫ぶようなバカな真似をしないためにも、しっかりしなきゃ。

笙子はあらゆる感情を奥底に押し込めて、何も考えないことに集中した。
漏れてくる感情に一枚ずつ扉をつけるかのようにして閉じ込めていく。
やっとそれに成功したと思えた頃、人のざわめきが聞こえてきた。
1時間近く葛藤を繰り返していたことに驚きながら、笙子は新たな仮面で、戻って来た人々に対応をする。

親族控え室にいる人達の殆どは、このあと予定されている精進落しの懐石に向かう。
それを見送って笙子の役割は終わるはずだ。
「笙子さん。」
「はい。」
「ご面倒おかけしましたね。」
社長の長姉孝子は友好的なタイプで、昨日から随分と笙子に屈託なく話しかけてきた。
「いいえ。」
「あなた、このあとのお食事にいらっしゃい。」
「いえ、とんでもないです。」
「いいのよ、遠慮しなくても。早坂には言ってあるから大丈夫よ。」
冗談ではない。親族一同が会している席になどつきたくはない。
「あなたの分は、別室に準備するから大丈夫よ。実はね数人別席なの。年寄りと同席するのを嫌がっているものがおりましてね。だから安心して来て頂戴。」
「いえ、やはり遠慮させてください。とても無理です。」
「そうお?じゃあ、後でお礼をさせてね?」
「それも遠慮させて頂きます。これも仕事ですから。」
「まあ、固いのね。では、ひとまずそういうことに致しましょう。」
あまり親しくなっていい相手でもない。違った環境でならば楽しい人だろうとは思うが、やはり立場上困る。

笙子の対応に仕方なく同意した様子の孝子は、今度は東吾が伴って来た女性に話しかけていた。
「まりか?貴女達、いつまで婚約しているつもりなの?」
「いつまでって・・・それは・・・」
「いい加減に結婚なさい。」
「正式に婚約したわけじゃないもの。」
「何言ってるんですか?もう20年はたってるわよ。あの子は断っていないし、一度もやめるとは言ってないわ。だから有効よ。」
「でも・・・」
「あなただって、やめると言えないでいるくせに。」
「伯母さま・・・」

婚約・・・。
まりか、と呼ばれた女性には婚約者がいる。
それが・・・東吾でない確率って一体何パーセントなのだろう。

社葬の親族控え室に親族である女性と一緒に入ってきて、親族の誰もが存在を疑わなかった男。社長の姉に「東吾」と呼ばれていた男。
倉木東吾には婚約者がいた。それも20年以上も前からの約束。
ああ、でも東吾ではないのかもしれない。いえ、それは願望に過ぎない。

全員を送り出し控え室に戻った笙子は、今は東吾に会えない、という強い思いにとらわれた。
恋人どころか、婚約者のいる男だったなんて、あまりにも酷すぎる。
それにあまりにも惨めすぎる。
またしても誰もいなくなった部屋で、こぼれ落ちた涙を慌てて拭った。

ここでは泣けない。今はまだ泣けない。
コートを持って外に向かった。通用口近くでコートを羽織るために立ち止まった笙子は、すぐ側の休憩室の中の会話を聞くはめになってしまった。神経が麻痺するほどおかしくなっていたのに、その会話はスムースに笙子の頭の中に入り込んで来た。

「いい加減にしないと、捨てられるよ。」 早坂の声だった。
「それはない。」 言い切った声は東吾。
「余裕だな。」 
「お前こそ、早くしたほうがいいんじゃないか?」 これは知らない声。
「何言ってるんですか? 遅れる原因をつくっておいて。」 
「根本的にその要因になったのはお前だろう。」 
「違いない。」

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太陽の契約23
「笙子さん。」 おかげで、この女性達にまで「笙子さん」と呼ばれてしまう。
「はい。」
「ごめんなさいね。お仕事の邪魔をして。」
「いいえ。で、私は何をお手伝いすれば宜しいのでしょうか?」
笙子はそれから、なぜか3人の携帯電話を預けられ、かかってくる電話の対応を依頼された。3人でいると常に誰かの電話が鳴って、全然打合せが終わらないという理由で、臨時秘書が必要だったらしい。しかも次から次へと電話が舞い込む。お悔やみやら社葬のこともあれば、次のお茶会のことだの、クリスマスカードの確認だの、公私全般にわたり様々な内容で、3人分は充分すぎる量だった。

とりあえず、明日の本番を待つだけと確認できたのは夜9時をまわったあとで、笙子は思いっきり疲れていた。こんなに人と会話したことなんてなかった、というくらいたくさんの人と会話した。それが単なる伝言のやり取りであるにも関わらず、非常に疲れたのは言うまでもない。

社長の実姉3人を無事に送り出した笙子は、控え室でグッタリと座り込んでいた。
外まで見送った早坂が舞い戻る。
「笙子さん、お疲れさま。ご飯奢るよ。今日こそね。」
そういうと、笙子のコートを勝手に持って部屋を出て行く。
随分と強引じゃない? 確かにそうでもしないと、いつもの私なら断るだろう。が、今日は疲れすぎている。神経を使う会話はしたくない。だから黙ってついていった。

向かった先は西麻布。一見して民家のようにも思える玄関、小さく掲げられた木製の表札に目指す屋号が書かれていて、そこが店だとやっとわかる佇まい。
中は柱や梁の古さが重厚に感じられるまま残してあり落ち着きのあるしつらえ。二人は2階の一室に通された。4畳半ほどの部屋に2人用のセッティング。和やかで気取らない雰囲気が心地いい。

「笙子さん、お好みは?」
「お任せします。今は何も考えられない。」
「素直な笙子さんって、あぶなそう。」
「なによ、それ。」
「おっと、やぶへび。」
「私、疲れているの。まともな会話ができるとは思わないで。」
「いいよ。今日は僕が話す。」
「この間だって、勝手に話してたと思うけど。」
「そうだった?」
テキパキとオーダーをすませた早坂は、笙子を真正面から見つめながら、しばらく考え込んでいた。
「どうかした?」
「いや、話そうと思ったけど、やめることにした。」
「・・・」
「明日のお楽しみがなくなる。」
「勝手にすれば。でも明日は本番よ。忙しくてお楽しみなんて味わえないんじゃないの?」
「いや、そんなことない。」
やけに自信たっぷり。
「伯母さま方は、明日9時には入る。」
「8時半には参ります。ご安心ください。」
「優秀な秘書で助かるよ。」
「言っときますけど、この会社に勤めて今まで、こんなに外部の人と会話したことなんて一回もないんですからね。」 早坂が相手だと、何かが狂う。自分のペースも保てないし、ついつい、本音が出てしまって内心驚きもした。
「それは笙子さんが、ひきこもりを決め込んでいたからでしょう?」
「ひきこもり、って・・・」 まあ、それに近いかも・・・

食事は家庭料理を懐石風にアレンジしたコース料理で、とてもおいしいものだった。
明日も早いからと、早坂は早々に切り上げる。この辺は社長秘書だなと、思う。
断っても無理そうな気がしたので、黙って送られた。

翌日は快晴で、時折吹きすさぶ木枯らしも、さほど寒さを感じさせない。
セレモニーホールでは既に葬儀社の人達が気ぜわしく動き回っている。
早坂は、前日同様に受付に近い場所に陣取り、何事か打合せをしている。笙子をみとめて軽く目配せをしてきた。笙子も軽く会釈をして中に入った。
そういえば、早坂が社長の家族と親しい理由を聞かなかったような気がする。ご家族に尋ねるべきことでもないし、早坂も何も言わなかった。それが今日わかる秘密なのだろうか?

そんな無意味な考え事も、集まり始めた人達への対応で忘れ去られてしまった。
10時からの葬儀。親族用控え室は50人は入る筈なのに、9時を過ぎたばかりで既に一杯に感じられる。名前を覚えるのは不可能だと自覚したので、途中で諦めた。

会葬者も入り始めた9時半過ぎ、控え室は出入りする人達の数がいきなり増え始め、まるで通勤電車のようになった。笙子は入り口近くの片隅で、相も変わらず次から次へと鳴る電話に対応していた。メモを整理して目を上げたとき、入り口に立った人影に驚いた。
ウソ、なんで・・・。
現れたのは東吾。当然のことながらきちんと喪服に身を包んでいる。が、ここは親族用だ。東吾が社長の身内だと言うの?
疑問が浮かぶ間もなく、東吾の陰に女性が立っているのがわかった。どう見ても連れ立って来たとしか思えない。顔はよく見えなかった。その女性が3姉妹のもとへ駆けつける。
「伯母さま。」「ああ、間に合ったのね?」
「ええ、ごめんなさい。もっと早く来られなくて。」「東吾に送ってもらったの?」
「そうなの。」
それ以上の会話は、また入った電話で聞くことはなかった。
東吾が伴った女性が親族。で、彼女と東吾は・・・。

笙子が伝言を整理している間に、部屋はいきなり空っぽになった。
時間は9時50分。あと10分で社葬が始まる。
最初から無人の部屋であったわけではないとわかる、あちこちに残された茶器やコーヒーカップ、乱雑に放置されたようなテーブルと椅子、笙子は当たり前のこととしてそれらを片付け始めた。
その視界の片隅で、入り口に人が来たのも勿論すぐに気がついたし、同時に五感が騒ぐように察知した。来たのは東吾。

「笙子」
なんで現れるのよ。さっきほんの少ししかいなかった筈なのに、私に気づいたというの?
「なに?」
「後で話がある。」
「そう?」
「勝手に帰るなよ。」
「どうせ帰ってもくるんでしょう?」
「よく、わかってるじゃないか?」
「手間を省いてあげるわ。」
「素直に待っているといったらどうだ?」
それだけ言うと東吾は部屋を出て行った。当然のように返事も聞かずに。


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太陽の契約22
月曜日の朝、笙子は何をどう考えたら良いのかわからないまま会社に向かった。
もしかしたら東吾がいない間に辞めるべきなのかも知れない、とまで思う。
でもそれには少なからず抵抗がある。こんなことなら、愛人関係なんてもっと早くに解消しておけば良かった。

悩むことに疲れ果てた笙子は、精神的な疲労を解消しきれないまま昨夜をやり過ごした。
そして今日、いつもより遅く出社した。それでもまだ8時半。
東吾が出張でいない今は、オフィスには誰もきていないはずだった。
なのに、ドアをあけるなり笙子の目に入ってきたのは、エリザベス・ジョーダンの姿。東吾の席に座り、そこで既に仕事をしている。
なぜ、彼女がここにいるの?
昨日、東吾と一緒に中国に戻ったのではなかったの?

東吾は昨日の朝、電話で呼び出されて急いで外出した。
まだ、半分眠っていた笙子に「ついでだからこのまま出かける」と囁くと、出張の準備をし、慌ただしく出て行った。
てっきり彼女が呼び出したのだと・・・思っていた。


一人残された部屋で、笙子はうつろな思いで半分空っぽになったベッドをみていた。
愛人を抱いたベッドから、恋人に呼び出されて出かけるオトコ。
何とも滑稽な自分。そう思うと、東吾のぬくもりが残るベッドの中にいて、体の芯から凍り付きそうな感覚にとらわれる。やはり、あのオトコは残酷だ。

ベッドから出た笙子は、昨夜の余韻を引きずりながらバスルームに向かった。
夜半に抱き寄せられてこたえた体には、いくつもの印が残り、鏡に映る肌はどこかなまめかしい。
その全身が写る鏡に背を向け、あちらこちらに残る洗っても消せる筈のない東吾の痕跡をシャワーで流していく。
そして、前夜のうちにまとめておいた荷物を持ち、東吾の部屋を後にした。

なのに今、目の前にエリザベスがいる。
電話は別の人?
笙子を見とめたエリザベスが、ほとんど表情を変えずに「Good morning」と挨拶をしてくる。それに答えながら、デスクについた。すぐに恵美がオフィスに現れた時は、ちょっと安堵した。

「社長のお母様が亡くなられたって。」 開口一番の恵美の言葉はそれ。
「社長の?」
「昨日ですって」
「そう・・・。」
「社葬は金曜日よ。」
「社葬なの?」
「それはまあ創設者の奥様で、藤崎一族のゴッドマザーですもの。」
数年前までアメリカにいて、戻ってからは研究所勤務だった割には、恵美は事情通。
「そうなの・・・。」

恵美は笙子の返事を待たずに、怪訝な顔をしているエリザベスに事情を説明し始めた。
英語でなされる早口の会話には全くついていけない。
ただ、所々聞きかじった内容によれば、エリザベスは今日の夕方帰るらしいことがわかった。そのときに笹本も一緒に行くことになっているらしい。

東吾と笹本を欠いたプロジェクトは、翌日から静かなものだった。
それを見越してか、総務から笙子に社葬の手伝いの依頼が舞い込む。
「いってらっしゃ〜い」と手をヒラヒラさせて送り出す恵美を残し、笙子は総務から教えられたセレモニーホールに向かった。

青山にある数百人は収容可能なホールは、3分の2ほどパイプ椅子が並べられ、両壁面には生花や供物が整然と並べられている。それはこれからどんどん増えるのだろう。
明日の社葬はさぞや壮観だろうと思えた。

「笙子さん。」 当然のことながら、ここで陣頭指揮をとっているのはこの男。
「早坂さん。」
「笙子さんもかり出されたの?」
「ええ、そうみたい。」
「担当は言われた?」
「ええ、控え室を頼む、と言われたのだけど。」
「・・・・」 早坂は一瞬驚いたような顔をした。それから真顔に戻る。
「笙子さん、いきなり驚かされるのと、僕の秘密をもう一つ知るのと、どっちがいい?」
「いきなり何?」 相変わらず、不可解なことをいう。こんな時だって言うのに。
「どちらでもお好きなように。」
「そうはいかない。さ、選んで。」
「第三の選択肢はないの?」
「ない。」
きっぱりと言い切る早坂を、怪訝な眼で見上げた。喪服の黒がなまめかしいのは和服の女性だけかと思っていたが、男でもそういうケースはあるらしい。瞳さえ間近に見なければ、早坂はやはり見栄えのする美丈夫だ。
その美形の顔を眺めながら、ふと、早坂の秘密は既に使い道がないことを思い出した。
「最初の秘密さえ、もう用済みなの。今更あらたな秘密なんて、あっても無意味だわ。」
「じゃあ、聞かない?」
「ええ、無用よ。」
「そ。じゃあ、控え室に案内する。」
「・・・」やけに諦めのいい早坂の態度がひっかかる。

控え室は2つあり、1つは親族用。もう1つは来賓用。笙子はどちらとは指定されていなかったのに、早坂が親族用の部屋へ連れて行く。
社長秘書なのだから、まあ彼の指示に従っていれば問題はないだろうと思えた。
部屋には親族とおぼしき年配の女性が3人いた。
何かのパンフレットを見ながら、葬儀社の人間と会話している。その中の最も年配そうな女性が二人に気づく。
「智ちゃん、そちらの方は?」
「ご所望の、臨時秘書です。」
「あら、早速ありがとう。」
早坂は、智ちゃんと呼ばれても一向に気にならないらしい。一瞬耳を疑った笙子も、どうにか顔に出さずにすんだ。社長の親族と随分と気軽に話すこの早坂と言う男は、一体何者?
笙子を紹介した後も、何やら無駄話までしている。

「じゃあ、笙子さん。頼んだよ。」早坂は結局何の説明もせずに笙子を置いて出て行った。


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